渋沢栄一 LOD ビューア
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是日栄一、当会に於て開催せらるる故平田篤胤・佐藤信淵両翁偉蹟表彰講話会に臨み、一場の演説をなす。

日付
1908-9-20(day)
和暦
1908年 (明治41)
伝記資料 階層
2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 > 2部 社会公共事業 > 4章 教育 > 3節 其他ノ教育 > 12款 帝国教育会
第27巻
p.163-p.164

伝記資料 本文

この綱文の根拠となる出典史料の本文 2 件

  1. 渋沢栄一 日記 明治四一年

    第27巻 p.163

    渋沢栄一 日記  明治四一年     (渋沢子爵家所蔵) 九月二十日 雨午後晴 涼 ○上略 午飧後日本教育会《(マヽ)》ニ抵リ、平田・佐藤二氏ノ紀念会ニ出席ス、町田忠次・小西文之助二氏ノ依頼ニ応スルナリ、一場ノ演説ヲナス ○下略

  2. 竜門雑誌 第二四五号・第八二―八三頁 明治四一年一〇月 ○平田・佐藤両翁偉蹟表彰講話会

    第27巻 p.163-164

    竜門雑誌  第二四五号・第八二―八三頁 明治四一年一〇月 ○平田・佐藤両翁偉蹟表彰講話会 秋田出身の故平田篤胤・佐藤信淵両翁偉蹟表彰講話会は、九月二十日午後一時より帝国教育会に於て開 - 第27巻 p.164 -ページ画像 かれ、当日は山路弥吉・織田完之・一木喜徳郎・横井時敬・井上頼圀新渡戸稲造諸氏の講演ありしが、我青淵先生も亦請に応して一席の講話を試みられたり、其大意左の如し 自分も元は百姓である、恰度廿二の歳迄は自ら犁鋤を執つて、蚕を飼ふ、畑を耕す、藍を作る、さうして夜とか雨でも降るとかいふ時は多少の読書をした、佐藤信淵先生の著書も実は其頃少しく手に触れて見たので、閑雅にいへば此頃の境遇は所謂晴耕雨読とかいふものであつたらう、其れから三十歳の時、今の大隈さんが大蔵卿をして居て、私を大蔵省の租税頭にした、以前百姓をして居たから税を納める丈は知つて居たが、租税頭になつて俄に税を取立てる役になつた、処でどうして取立てゝよいか判らない、之れには私も殆んど当惑した、今日なれば種々専門な学者も居て、税源も沢山あるけれども、其頃は単に百姓からばかり取立た、玆に於てか此取立方法を急に研究する必要から佐藤信淵先生の農業本論を読んだ処、其等の事が非常によく知れたのみならず、先生の卓見に大に敬服した事がある

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